もるとです。
しばらくぶりのこのシリーズですが、今日はこの記事からの続きです。
■派遣で紹介を受ける
さて、比較的大手の会社のコールセンターに4年勤めた後、1年間で2回職を変えながら自分に合う仕事を見つけようとしていました。
201x年の9月頭。
ぼくは自宅でゴロゴロとしていました。
その時は求職中という名のニート生活を満喫、先月末で軍隊系の会社から解放されたこともありお金もないのに二週間ほどはダラダラしようなどと考えていました。
と、そこに登録している派遣会社から一本の電話がかかってきます。
寝ぼけまなこで話を聞くと、IT系ハードウェアの会社のコールセンター募集があるとのこと。
受けてみないかと言われ何となく「お願いします。」と言うと、「今日面接いけます?」となんともスピーディーなお話。
バタバタその日の昼に面接、夕方には合格の連絡がありました。
そして、次週から早速2週間ほどの研修があり派遣社員として本格的に業務に入っていくことになります。
■これまでと少し毛色の違うコールセンターに勤めだす
さて、この新しく入った会社。
結論から言うと大正解、これまでの自分が勤めた仕事で一番合っている会社となりました。
面接で最初にオフィスに入った時に「これまで経験してきたいわゆる”コールセンター”とは雰囲気が少し良い意味で違う。」と感じたのですが、まさにドンピシャその通り。
コールセンターというのは基本的にオペレーターは案内をする仕事になります。
問い合わせの回答、契約上の処理手続き、クレーム対応など基本的に受け身となることが多く、おまけに日中はしゃべり通しという環境のところが多いです。
悪く言うと、オペレーターはなかば奴隷の様に同じことを繰り返し、わりと頻繁に訪れるクレーム対応等をすることで疲弊していきます。
ゆえにどこも離職率はかなり高いです。
しかし、このコールセンターは大手のハードウェア会社のウェブ営業部隊でした。
しかも法人部門に配属されたため、やり取りは基本的にメール7割・電話3割程度と外回りこそないものの普通の会社の営業にかなり近い形態です。
メールで大方の仕事が完結することから、以前のセンターの様に一日中電話を受け続ける必要がなくなったためグッと体力的に楽になりました。
また、コールセンターは言葉遣いにとてもうるさいところが多いですが、なじみの法人客との折衝ということもありかなりフランクに話すことが許されていました。
ある程度の丁寧さ、要所要所のビジネス用語等はもちろん必要ですが、窮屈さがまるでなくとてもやりやすかったいい環境でした。
見積を作る時間や社内折衝の時間が多かったことから、コールセンターでありながらもいい意味で非常に「コールセンターらしくない」ところでした。
そして評価方法は基本的にどれほど売り上げを上げられるか。
売り上げが上がるほどインセンティブをしっかり支給するというやり方でした。
これが自分にはとてもあっていました。
もともと話すのはある程度得意であり、IT系のハードウェアは好きな製品でしたので顧客との会話も自然と弾みます。
一通りの社内オペレーションを覚えた後はガンガン仕事をこなしていけるようになり、気づけばそこそこのインセンティブを毎月もらえるようになっていきました。
■一年でチームリーダーに昇格・契約社員へ
「これは天職かもしれない。」と仕事に邁進すること1年。
四半期ごとに体制が若干変わるのですが、このタイミングでリーダーに昇格、時を同じくして派遣社員から契約社員となります。
かなり早いタイミングで好待遇となれたのは、上司に目をかけてもらっていたことやポストが空くなどラッキーが重なったのが要因です。
とはいえ、これまで経験した中でも一番「やれる」と手ごたえを感じていた仕事だったため、素直にとても嬉しかったですね。
契約社員になったことで、給与も安定しはじめます。
この当時は手当・残業代込みで月に約30万円前後ほどもらっていました。
当時の源泉徴収票を見ると年収は400万強稼いでいたようです。
毎月手取りは25~30万円くらいあり、投信の積立もだいぶ楽になってきたと思いだしたのもこの頃です。
また、役職が付いたことで周りと接する機会や仕事で頼られることも増えました。
元々教えるのが好きだったのでやりがいはマックスです。
そしてコールセンターらしく女子達が多かったため業務内外のふれあいにも精を出し始めます。
今振り返ると思うのですが、こういう上昇トレンド的な時は毎回懲りずに調子にのっていますね・・・。
順風満帆に思え、この世の春は永遠に続くかの様でした。
しかし、良い時はそう長く続かず。
破滅的とも言える様な大きな座礁に乗り上げることになります。
■半年で管理職となるも、すさまじい挫折を経験
チームリーダーとして半年勤務した後に、すぐさまもう一つ上の管理職の役職の打診が来ました。
部署の中ではいよいよ中核的なポジションとなります。
不安はありましたが、上昇志向の塊であったぼくはこの話も受けることにしました。
しかし、ここでまさかの大失敗。
任されたチームのリーダーとあまりにも合わず、チームは崩壊し自ら役職を降りることになります。
役職に就いてわずか三ヶ月のことでした。
最速で昇格し、最速で降格。
順調に来ていただけに大挫折となります。
降格後、一旦は一営業マンとして勤務しました。
が、完全にふてくされていました。
仕事自体はミスもせずこなしていましたが、やる気もはまったくと言っていいほどありませんでした。
こうなると考えことは一つ。
「ここで終わってたまるか。必ず見返す。転職や!!!」
狙いは一つ、正社員で年収が高い仕事。
もう一度輝くべし、わい。
目をギラギラさせながら、某島に本社を移転する企業が主催する転職フェア会場へ大股に歩いていきました。
■転職する
転職フェアでは複数の会社にエントリーし、実際に面接を受けました。
結果、めでたく一番希望していた会社に内定。
人生で始めての三次面接まである試験でした。
第一志望のところから内定通知が来た。
— もると (@maltstockfi35) 2018年12月27日
ここに転職活動終了を宣言します!!
ジャパセフさんに続けたお!(。>д<)
そして同じく人生で始めての正社員採用。
この時は勤めていた会社での失敗直後ということもあり、涙が出そうなくらい嬉しかったです。
約2年半勤めた会社は退職することになります。
扱っていた製品やブランドへの愛着があり、業務内容自体は自分にあっていたものの、辞めると決めてからは2~3ヶ月で退職となりました。
とはいえこの会社で得たものは大きく、始めて「自分はどんなことが向いているか」「人の上に立つとはどういうことか」「いわゆる"平均年収"の稼ぎを得る」ということを身を持って体験することができました。
特に年収に関しては最終的に400万強もらうことができ、大きな進歩を感じましたね。
最初のコールセンターから見ていくと、一年ごとに150万→250万→300万前半→400万強と年収は推移していきました。
やっと人並みに稼げることができたことで自信をつけることができました。
これにてコールセンター編は終わりです。
この仕事以降はコールセンターには勤めておらず、本格的に営業マンとして仕事をしていくことになります。
果たして電話越しでしか仕事をしてこなかった男が社会に出て営業として通用するのか。
本日はここまで。
これまでの仕事編は総括を含め残り2本を予定しています。
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