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これまでの仕事歴を振り返ってゆく③(コールセンター編その1)

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もるとです。

今日は前回のこの記事の続きです。

 

fi35.hatenablog.com

 

 ●コールセンタースタッフとなる

社会人になり早3年が経過。

プライベートはぼちぼちでしたが、仕事は本当に楽しくなかったです。

果たしてこのまま働いていていいものか、という悩みは日々抱えていました。

 

そんな折、業種は違えど同じく肉体労働系の仕事に就いていた友人がコールセンターで働き始めます。

その様子を見ていると、何だか友人は楽しそうにしています。

そこで「コールセンターってきつくないの?」と聞いてみました。

 

実は、ホテルの仕事を始める前にタウンワークを眺めていた時コールセンターの仕事も自分の中で候補に上がったんですね。

ただ周りから「大変だからやめておきなさい。」と止められました。

特に親から強く反対されたので、当時の自分は今よりは素直だったこともあり応募しないことにしました。

 

しかし友人は「いや、そうでもないよ。」と言いどんな仕事なのかを一通り話してくれました。

聞けば聞くほど今の自分の仕事よりは良さそうです。

何より体力的には座ってしゃべっているだけなので格段に楽そうです。

次第に心が惹かれていきました。

悩んだ末、その友人の勤めるコールセンターを受けに行くことにしました。

ただなぜか「落ちたらかっこ悪い」と思い、特にその友人の紹介等は受けず、普通に応募し面接へ突撃することにしたのです。

結果は採用。早くもその週から働くことになりました。

 

●初めて自分の適性に合う仕事に就く

さて、このコールセンターですが、パートではありましたが結果的に4年間勤めることができました。

一年目に業務の基礎を覚え、二年目に他部署へ異動、三年目は元いた部署に戻り、四年目は新設された部署で働きました。

基本パート社員はこんなに動くことはないのですが、異動の募集があった時に積極的に手をあげたことや元々ある程度話すことが苦手ではなかった性格が幸いし、短期間で会社のメインからバックヤードの業務まで経験しました。

すると三年目からはバイトリーダ的な立場に就き、人生で初めてのちょっとした「出世」を経験します。

これまで板金工・ウェイターと、いずれも人に怒られてばかりで自尊心を無くしていただけの存在であった仕事ですが、この職場では初めて周りから褒められ頼りにされるという経験をしました。

それは人生で味わったことのない充実感でした。

 

 

最初はコールセンターって楽そう・・と思っていましたが、意外とそうでもないということが次第にわかってきます。

しゃべり続けるのも体力が必要、同じ内容をひたすら繰り返していると眠くなる、クレームがくるとパニクるなど、そこそこ体に負荷のかかる要素はありました。

ひたすら電話を取り続けていたら多分1-2年で辞めていたでしょうが、途中から指導的な業務と実務が半々になったこともあり、比較的に体力的には余裕を持ちながら続けることができました。

そして最後の方にいた部署では営業的な要素が強く、良い意味でプレッシャーを感じながら毎月の目標に取り組めていました。

とにかくしゃべってしゃべって商材を売りまくった。

目標を達成すると時給があがっていき、取引先からの接待も経験しました。

とても嬉しかった思い出ですね。

 

 ●初めての「学びのある」仕事

余談ですが、今の自分の持つ”仕事感”は、いまだにこの職場での経験が一番大きな影響となっています。

それは「とにかく教育が大切。マニュアルをしっかり作る。業務の勘所を実際にトラブルが起こる前に押さえておく。」というものです。

このコールセンターは人数がとにかく多かったこともあり、働いている人も色々な人がいました。

優秀な方もいればいまいち飲み込みが悪いという人、つまり個々の能力には相当な差があったと記憶しています。

しかし、脱落する人もいましたが不思議とほとんどの人はモノになっていてちゃんとセンターの一部となっていました。

それは多分、入って二週間ほどでしっかりとした研修がなされ、分かりやすい業務フローがあり、更新され続ける社内イントラが見事に機能していたからだと思います。

この職場を辞めた後に数社を非正規で回りましたが、この一連の流れがない故に人を雇っても使えていない職場というのもたくさん見ましたね。

 

もちろん、優秀な人であれば勝手に業務を覚えていくことも期待できるとは思います。

外資の破格の給料のジョブホッパーなどはその典型でしょう。

ただ、規模が大きいビジネスをやろうとなるととにかく多くの人手が必要となります。

また、優秀な人を雇いたくてもそのお金が出せない企業というのもたくさんあります。

(有名企業でも非正規だらけかとは思いますが。)

そういう意味で「そこそこの人材を最高効率で使う」には、教育・フロー・知識のアップデート、これらが大切だと今でもよく思い出します。

そして、自分が新しい仕事を始める時は自然とこういうことを意識していますね。

 

 ●色んな出会いもあり

さて、仕事の面以外ではホテルに続いてこれまた多くの人と知り合えたというのもいい職場でした。

20代前半の同年代から一回りほど上まで、年齢は違えど和気あいあいとしていました。

また、今でも仲良くしていていつか一緒に成り上がろうぜと誓っている友人ができたのも幸運でした。

あと、女の子達もやっぱ可愛かった。

ほんと会社に行っていろんな子と話している時が一番幸せでしたね。

業務を覚えるモチベーションの過多を占めていたのはここであることは間違いないです。

 

●外に出ていくことを決意する

そんな楽しかったコールセンター生活ですが、この一社目はちょうど4年間で辞めることになります。

そしてこの頃から、どちらかというと閉塞感が漂っていた自分の人生は大きく動き出すことになります。

 

この職場に勤めていた最後の方、ぼくは「もっと仕事がしたい、中心的な立場で活躍する人になりたい。」と考えていました。

周りの人も「もっとやらないか。」と言ってくれ非常に心が揺れましたが、どうしてもこの職場ではこれ以上仕事に励めない理由がありました。

それはボランティア仲間の存在でした。

この職場はボランティア活動の仲間が大変多く、彼らは仕事は二の次で生活の中心はあくまでその活動というメンバーでした。

そのメンバーがいる中で、活動をおろそかにし仕事をするのは不義理を働くようで嫌だったんですね。

 

●外に出ていくことを決意した、もう一つのショックな出来事

そして、外に出ようと思ったもう一つの大きな出来事がありました。

それは当時よく遊んでいた女の子から言われた何気ない一言でした。

「やっぱ男は500万くらい稼いでないとだめよね~」と。

なんでも、当時その子は夜な夜な大企業の転勤族と「飲み友」として遊んでいたみたいですが、その場に一緒に行く友人達と結婚について話していた時にそういう話をしたとのことです。

この時は頭をかち割られたと思いましたね。

ちなみに当時の年収は150万円ほどです。

・・・500万はあまりにも高い壁だった。

どうやってもそこに辿りつける気はしませんでした。

実際、その職場でフルに働いてもパートであれば年収は220万程度でしたね。

それすらも遠い金額です。

 

「よし、環境を変えるしかない。稼ぐぞ。」

「いつかその足元にビッグマネーを叩きつけてやる。」

 

ま、一言で言うと好きだった子にそんなこと言われてショックだったんですね。

挫折は人を強くするようです。

 

決意を胸にし、このコールセンターを後にしました。

 

 

 ●その後一年は転々とする

さて、意気込んで外の世界に出たもののその後一年間はまったくうまく行きませんでした。

1社目は別の系統のコールセンターへ行きましたが、まったく面白くなかったので半年であえなく辞め、2社目は法人相手に一日150~200件営業電話をかけるというグレーな商材を売る軍隊系の会社に入りました。

ここは最終的に正社員登用の話がありましたが、月給18万+インセンティブと言われ断って辞めました。

ちなみに時給は1社目は1400円・2社目は1300円とぼちぼちでしたが、爆発的に稼ぐというわけでもなく、かと言って仕事が面白いわけでもなくとフラストレーションが溜まる一年間でした。

 

しかし、この次に入る会社が自身のキャリアには大きな二つ目の成功体験となります。

本編はここまで。次回「コールセンター編その2」。

 

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