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「センター試験の点数をいつまでたっても自慢する人間」は、いったい何に囚われているのか。から資産形成を考える

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昔から活字は好きで今でもネットで色々な記事を読むのですが、今日はたまに覗きに行くサイトで面白い記事を発見しました。

blog.tinect.jp

なかなか納得する記事でしたね。

 ↓ 目次 ↓

センター試験の点数を大人になっても自慢するという人がいることに爆笑した著者

著者の高須賀さんは都内で勤務医をされているとのこと。この記事はこんな紹介文から始まります。

インターネットで時々話題にあがるものの一つに、センター試験の点数をいつまでたっても自慢する人間というものがある。
僕がこの現象を初めて目にしたのは確か村上春樹のエッセイであった。
エッセイのあらすじは官僚の人が村上さんが突然「あなたのセンター試験の点数は何点でしたか?」と尋ね、村上さんが困惑するといったものだ。
数点単位で寸分違わずに己の点数を流れるようにそらんじて自慢する姿をみて村上さんが「大の大人がこの歳になって一体なにをやっているんだ…」と呆然するこのエッセイを読んで当時の僕は爆笑した。

そしてこのことから思いを巡らし、「狂人的な努力をした人の”正しいゴールの仕方”」というものを解説していかれるという流れになっています。

高須賀さんは学生時代に自身の学力に絶望し、そこから「狂人」となって勉強にまい進、見事医学部に合格されたそうです。しかし「狂人」となり目標そのものは達成できたものの、その時点で感覚がいわゆる「普通」とはずいぶんかけ離れてしまい、気づけば大学でははみ出しものの孤立状態に。「狂人」から「真人間」に戻るため、次の環境に移るまで大変に苦労された・・というエピソードが語られています。

ぼくはこの記事をとても楽しく読んだのですが、ふと「資産形成という観点において通ずるものがあるなぁ」と思いました。

資産拡大することを決意すると節約家(ポイ活)や仕事人間になる

いわゆる普通の人が資産形成を心に誓うとインデックス投資という結論になることが多いと思います。よっぽどの才能が有れば個別株で増やすことも考えられますが、インデックス投資の手堅さはツールとしては継続しやすいので当然といえば当然です。

しかしインデックス投資はいかんせん資産が増えるスピードは遅い。元手が少ないと箸にも棒にも掛からないということに段々気付き始めます。そうなると行きつく先は節約・ポイ活・過重労働の3大活動になります。この辺りでそれまで持っていた「普通」の感覚とかけ離れていくのですね、特に独身だと。

趣味や生活水準のローコスト化、長時間労働

まずは固定費の見直しからスタートし、その後それまで楽しんでいた趣味が徐々に縮小、あるいは下位互換となっていきます。そしてポイ活でお得情報をかき集めるようになり、さらにそのポイントを最高効率で使い生活コストをさらに下げていきます。

極めつけは残業・副業での労働力の最大化とプライベートの縮小となります。人付き合いも厳選していくので無駄な飲み会(?)には参加しないようになり自然と付き合いが悪い人になりこの辺で感覚がだいぶおかしなことに。ただこのラットレースをグルグル回し始めると資産はそれなりに増えていくというのも一つの実感として出てきてある意味自信が深まるため手ごたえは得ている状況になります。(相場環境にもよりますが)

当然周りとの感覚差は開く

そうこうしている内にずいぶんとマニアックな知識を大量に備蓄することに成功します。僕自身は凝り性ということもあり、一度はまりだすと最高効率を求め続けるようになりました。節約のコンボを次々に決めていくみたいな感じですね。そう、この辺りで完全に「狂人」が完成するわけですね(笑)

このこと自体は別に悪いことではないと思います。ただ、資産という「得るもの」がある一方、「新しい人間関係」「経験」という面では確実に失ってしまったものも多い・・という風に後から振り返ると少し思うところがありました。さらには誰かと話した時、金銭感覚とかの違いにちょっと戸惑ってなんだか会話が弾みにくいということも記憶にあったりしますね。

「金銭」において普通の感覚を取り戻すことも必要かもなと思う

著者の高須さんはこのコラムの最後で結論を以下の様にまとめています。

凡人が不慣れな環境で無理を押し通して道理を通そうとすれば、狂人化する以外に術はない。そうでもしなけりゃ、ありえない努力なんて継続できない。
(中略)
何者でもない個人が、何者かになろうと暗中模索し続けられるのは、そういう「もう後が無い」という感覚が心のどこかにあるからに他ならない。何十時間も頑張って、成果がまったくあがらない。無駄の上に無駄を積み重ね続ける。こういう徹底した無駄な努力を継続するのに、正気はまるで役立たずだ。むしろ正気であればあるほど、あなたの心の声は「撤退しなさい」と言うだろう。狂気だけがその正気をブッちぎって、常軌を逸した無駄な努力を支えてくれる。こうして何十・何百時間も頑張り続けると、狂気が時に世界に変革を起こす。勝算なんて傍から見ていて一ミリもないはずの戦いだったのに、いつの間にか世界が一変している。そうして狂人は時に人生で成功するのである。こうして努力の結果、狂人は勝利しました。そして狂人は幸せな人生を歩みましたとさ。めでたしめでたし…とはならない。狂人となって無理を押し通した凡人は、最後の最後に狂気を己の身体から抜くという大切な仕事が残っている。
(中略)
主観と客観を限りなく世間に合わせていき、狂気をゆっくりと抜いていく。そこまでやって、やっとこさこの狂った冒険は終わりを告げる。これが全てである。受験だろうが仕事だろうが恋愛だろうが、フィールドがどこであれ、この手法は通用する。命をかけた魔術だ。

資産形成クラスタのみなさん、どう思うでしょうか。こういった感覚、なんとなく宿ったことないでしょうか。

資産を形成するというのは簡単ではないことです。ぼくはも20代後半はかなり力を入れて資産形成に励んでいましたが、その道のりは決して楽ではありませんでした。資産クラスタにはすごい方がたくさんいらっしゃいますが、大多数の人は若い内に数千万の資産を作るのは苦労する人の方が多いと思います。

だからこそ目標がそれなりに高い(=若くして数千万を蓄えるなど)場合、それを達成するためにある程度「狂人」になるのは必要なことだと思います。そうすることで爪に火を点す様な節約にも耐えられるし創意工夫する頑張りの動機ができるからです。

しかし、ふと「何のために資産を形成するのか」ということを考えるとこれでいいのだろうかと思う瞬間がありました。自分にとってその答えは「幸せな生活を送るため」。で、その「幸せ」とは労働からの解放もありますが、良い人間関係を築くという面もあります。家族や友人との交流なども含まれます。

そう考えると”狂気”が体に宿っている状態というのはあまり好ましい状態ではないかもしれません。なぜならその狂気が他者との交流の妨げになったり、浮世離れした感覚を培うことにもなりかねないからです。極端なことをしている場合ではありますが。

”狂気”を意識して抜いていきたい

改めて思うが狂気を抜くのは狂人になるのと同じかそれ以上に難しい。それこそ冒頭に例としてあげたセンター試験の点数おじさんなんかは、たぶんまだマインドセットが狂人のままなのだと思う。

資産形成においてもある時点で「狂気」を体から抜き、「普通」に帰る・・つまり金銭に対する“執着”があることに気づいたならそれを適度に抜くことが必要になるかもしれないなと。それが周りの人との人間関係においてもプラスに作用するのかもな・・とこの記事を読み感じました。

労働や節約も100点満点ではなく、80点くらいにという感じですかね。ともあれ、なにごともバランスを大切にしていきたいものです。

 

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