もるとです。
ここのところよく聞くこの話題。
2021年9月7日、「親ガチャ」という言葉を取り上げた現代ビジネスの記事『格差拡大、貧困増大...それでも「若者の生活満足度」が高いこれだけの理由】』が話題を呼んだ。 内容は若者の間で「親ガチャ」に外れたことを嘆く声が聞かれる一方で、若者の生活満足度は以前よりも高まっている、というものだ。筆者の筑波大学教授・土井隆義氏は、相対的貧困率の上昇を受けた、人生に対する「諦観」の高まりから、現状を受け入れる若者が増えている、と考察している。
上司や配属先だけでなく、ついに親までガチャの対象になったかという感じですね。
★★★ ★★★ ★★★
このテーマで記事は書きにくいなと思っていました。
なぜなら正直自分自身もガチャには外れたと思っているからです。
しかし、よよよ氏のこの記事を見て色々と考えるものがありました。
僕も親ガチャという言葉には違和感がありますね
それは人の人格形成において親からの教育の影響の有無を否定したいがための違和感ではなくて、むしろ逆、親からの影響は子どもにとってとても大きなものなのだからもっと本人や社会は深刻に捉えるべきだという違和感です
ガチャなどというポップでカルチャーな言葉で昇華してはいけないものだと思います
親ガチャ失敗したはwと軽薄な言葉を用いた冗談で言えるくらいの親の不出来からくる人格への影響なら、もともと完璧な親などどこにもいないのだから、そんぐらいのことで育ててもらった親にガタガタ言ってんじゃねぇよガキと思うし、反対に本当にサイコ親からの深刻なトラウマを植え付けられた人間は親ガチャという軽い言葉で自分の境遇を軽々しく他人に言えないはずです
まったくもってその通り。
この文章は読んでいて思わずふんふんと頷いてしまいました。
「ガチャ」なんて言っている内はいいと思います。
多分それは、標準のレベルがより上級なレベルに対して思う感想でしょう。
しかしこれが底辺になると話が変わってくる。
例えばこんなところでしょうか。
・親からの虐待(身体的ダメージ)
・親同士の不和・離婚(精神的ダメージ)
・親がハマった宗教(思想・死生観へのダメージ)
経済的なものとかは多分乗り越えていけそうな気がするんですよ。
なぜなら日本は貧困と言えど、最低限の暮らしは95%の家庭はできるしほぼみんな学校にも行けるからです。
小さい時から小規模ではあるものの社会に放り込まれていれば、自分の得手不得手もわかるでしょう。
それなりに食べていく道を、少なくとも自分が主体となって「進路」を決めることができます。
もちろん、経済的に恵まれず費用の掛かる大学にいけないなんてこともありはしますが、それなら高卒でガンガン働いてお金を貯めていけばいい話です。
しかし、もし暴力で体にダメージを負ったら。
もし親同士の不和で眠れぬ夜が続いたら。
もし親がカルト的な宗教にはまっていたら。
これは到底「ガチャ」なんて言葉では言い表せないほど、いわゆる「普通」から遠ざかるわけです。
上記はパッと思い浮かんだ一例ですが、まだまだ色々あるでしょう。
子どもによっては、要因が複数あるなんてことも考えられます。
まぁそもそもこういう親は異常であることが多いので、自然と問題が多要素になるとも思いますが・・・。
★★★ ★★★ ★★★
「普通」という定義も時代と共に変わるので難しいところですが、なんとなく僕はこう考えています。
「その時代に即した生活、同世代達が触れるであろうカルチャーを共有できる生活」。
この「普通」が親に阻害されるとはどんな感じか。
例えば「私たちの世代は小さい時から働かされた、だからあなたもゲームなんて必要ない!どうせ大人になったら誰もゲームなんてしない!!」みたいなところでしょうか。
”ゲーム”の部分は何でもいいのですが、要は親が自分の育った背景をもとにしてそれをそのまま子どもに押し付けるとその子だけ浦島太郎になります。
これはけっこうな疎外感を生み、その子自身も窮屈な生活を送ることになるでしょう。
ただ「普通」の生活を送れないくらいは正直マシです。
虐待や精神の思想といったところまで親が侵食してくると、子どもはもろにその影響を受けます。
そして子どもは基本的に生活を盾に取られているので親からの影響を拒否できません。
周りの人が助けてくれるケース(虐待であれば行政の介入もあるが)はわずかです。
これくらいのケースを経験してしまうと、とても「ガチャ」なんて言葉では表現できなくなるわけです。
人生の内25%くらい失うわけですから。
しかもその後の人生に大きな影響を与える一番大事な箇所を。
そんなガチャに当たってしまったら、乗り越えられる人は少ないでしょう。
日本、というか成熟国ははみ出し者にとって厳しい国です。
最初にハンデがつくと、それを挽回する時点でかなりの労力を使い、本チャンで出す力が残っていないということが起きてしまいます。
★★★ ★★★ ★★★
とはいえ、現状を嘆いていても未来を変えることはできないわけです。
だからこそ親ガチャを外したと思うなら、自分を見つめ直し、自分には何が必要なのか、自分はどうありたいのか、どのような自分が快いのか、本音で自分が欲しいものは一体何か、自分は人生で何を成し遂げたいか。
こういったことを吟味する必要があると思いますね。
自分の人生を決めるのは最終的には自分の歩み次第。
親は外したけど、この日本という国に生まれたという時点でかなりのアドバンテージがあるわけです。
たまたま周りがみんな同じアドバンテージなので、自分だけ劣って見えるだけ。
世界を歩けばその感覚も変わります。
今日は思いのまま書きなぐってしまい、全然まとまりがつきませんでした。
この記事を公開するのはなんとなく後悔しそうな気もしますが、自分の思ったことを書きたい、そのためのブログなので活用したいと思います。
また、その内このテーマでもう少し筋道立てて書いていきたいと思います。
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